【今回のテーマ:日本では自由=無責任?】
週末に日経ビジネスを読んでいたら、こんな面白い記事があった。
『個人の創造性を根絶やしにする日本社会の「立場主義」 安冨歩・東京大学教授に聞く』
(以下、上記記事より一部抜粋)
ーーーーー
安冨:
日本というのは異常に専門家を重視するんです。これは面白いんだけど、原発に賛成する人も反対する人も、ものすごく専門家の言葉を重視する。ヨーロッパの人はそんなに専門家の言うことを聞かない。イギリス人なんか特に、専門家に対して評価が低い(※1)。
シビリアンコントロールと言うけど、あれは「文民統制」ではなくて、「素人による統制」なんです。シビリアンとは、プロフェッショナル(専門家)に対しての素人。故・森嶋通夫先生が言っておられたのですが、日本はプロフェッショナル・コントロールの国だと。
日本人が言う「素人」とは、「立場のない人」です。立場は責任と結びついているから、責任を負わない素人が判断なんてできない、と。逆に専門家とは「立場のある人」。
(中略)
ヨーロッパ言語における「選択」の概念を考えると、選択は自由と結びつきますが責任も生み出します。「選択、自由、責任」がセットなんです。
ところが日本では、自由と結びつくのは「無責任」なんです。なぜか。日本では責任は立場に結びついているからです。「立場がない=自由=フーテンの寅さん」なんです。
日本社会における自由の根源は何かというと「無縁」です。「無縁=自由=責任がない」。これに対して「有縁=不自由=責任を負う」。つまり自由と責任が対立概念なんですね。ヨーロッパ言語では自由と無縁は全く結びつかない。不思議なんですよ。
有縁、無縁は中世にできた家制度と結びついていて、家制度自体は高度成長期に崩壊して、戦争によって鍛えられた立場主義に変質しました。
ーーーーー
特に後半はとても興味深いポイントだなあ、とちょっと考え込んでしまった。『自分の意思で選ぶ』ということが西欧的発想では『自由』、そして『結果には責任を取ることとなる』ということが結びついているのは理解していたが、日本では何かずれているというところまでしか理解していないかったので、この『自由=無責任』という構図が見えて、大きくうなずいてしまった。なるほど。
しかも『有縁=不自由=責任を負う』が、しかし『=責任を取る』とは必ずしもつながっていないのが日本の現実に見える。すぐ連帯責任を持ち出すところも、責任の所在が明確ではない(責任の所在を認めない)、という建前と現実というまた日本っぽい観念が入ってくる気がする。
少し話はずれるが、欧米(※2)の会社はフラットだとよく言われることがある。私が以前勤務した会社でも確かに年功序列ではないし、おそらく日本では課長に相当するミドルマネジャー的なポジションが少なかったこと、タスクフォースなどプロジェクトベースで立ち位置が多少変わったりすることがあるので、日本の部長、課長、係長、のような構造よりもフラットでフレキシブルだった。下も上に対してどんどん提案していくことなども考えれば、より全員参加型に見えるかもしれない。
ただ、基本的には『責任の所在』という観点から組織を見た場合は大抵非常に明確だったように思える。チーム表彰なども当然あるが、基本的には最終責任は誰が負うかは明確。だから給料格差があるし、何か不祥事が起きれば特に最終責任者が退任するとか減給するとか責任を取ることになる。もちろん成功を導きだせば昇格につながる。根本的に立場が責任と直結している。だから日本企業の不祥事の際にトップが辞任しないことは『意味が分からない』とコメントされる。(正直日本人でも意味が分からないと思っている人も多いと思うが…。)そう考えると、日本の立場主義は主義・主張だけであって、現実にはとても緩い気がする。
週末に複数の日系ビジネス誌を読み漁って少し最近の話題などにもキャッチアップしたが、社内の変革を進め大きく変わろうとしている企業や有望なベンチャー企業も多くある一方で、未だにこんなことがあっているの?と正直びっくりするような話もある。オリンパスにしても野村にしても津波後の対応にしても、悪い話の方が海外で取り上げられやすいのが残念だなあと思う。
---
(※1)多少余談だが、上記の『イギリスなんか特に、専門家に対する評価は低い』という点は若干気になった。3.11の津波の際の日本の原子力事情に対して、原子力に頼らない割には欧州で最も冷静な論調だったのはイギリスだと個人的には考えている。素人が科学者の意見を聞き、冷静に判断しておらず、感情論に走っていたとしたら、もっと違う反応だっただろう。その他、国営放送であるBBCのWORLD SERVICESへの評価が高いのも、同社ジャーナリストのレベルの高さに加え、事実に基づき客観的に判断したいという土壌が少なからずあるからではないか、と思う。
(※2)欧米とはいっても国によってもかなり企業文化は違う。個人的な経験では『社内における弁論の自由』という観点では、オランダが一番フラットだった。『上司にどんどんモノ申せる奴は昇進する』とオランダ人の先輩も言っていた。私はオランダからアメリカに転勤したので、オランダ文化を持ち込んでしまい、直接的な物言いとノーという部下として多少アメリカ人上司に引かれたことを覚えている。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
発行元:Analyze + Summarize
http://analyzesummarize.blogspot.sg/
Copyright(C):Analyze + Summarize
※無断での転記•引用はお断りしています。