2012年11月25日日曜日

Write There Write Now(2012/11/26):一足先に2013年に移行


【今回のテーマ:一足先に2013年に移行】


来週から11月も最終週。そうなったときに必ずすることがある。

それは、2013年の手帳への移行。

私は文房具が好きなので、『好きな文房具しか使わない』と決めている。そうしないと大事にしないからだ。とはいっても別に高価でスタイリッシュなものという意味ではなく、デザインがシンプルで使いやすいと思うものを選択するようにしている。使いやすそうだなと思うとつい買ってしまうが、まあそれぐらいはいいか、ということで。

手帳もかなりいろいろ探したし、最近は日本でもいろんな方がプロデュースした手帳があるが、海外にいるとなかなか細やかな配慮があるものがない。Moleskineなども使ったが、ここ数年ほどは最終的に仕事もプライベートも無印良品のものに落ち着き、Moleskineは1日1ページのものに日記を書いている。2013年も、2012年と全く同じスタイルのものを選んだ。ただ仕事用で使っていたものは去年と全く同じデザインがなく、しょうがなく少し小さいサイズを購入となった。毎年同じスタイルのものをずっと使える点も無印良品が好きな理由でもある。

ただ、売り切れになると嫌なので、10月ごろからMUJIショップをうろつき、見つけるとさっさと買う。11月は早く月末になって次の年の手帳に移れないかな~と心待ちにしている。ほとんどの手帳が前年の12月から準備されているわけだし、早く新しいノートに何か書きたいという幼稚な思いもあり、この手帳の移行が11月最終週の儀式となっている。

特に偉そうに話すほどの手帳術はないが、基本的に用事は月全体のページに書き込む。私が使っている手帳の場合は、毎週のページも見開きであるが、左側が一日ごとに書くスペースが設けられており、右側がフリースペースとなっている。なので右側のページに思いついたことや年間通して考えたいことなどが書かれている。基本は左側の週ページには特に書かない。あとで関連事項を書き足すスペースが欲しいからだ。だから週の予定用としてはあまり機能していないが、見開きの月ページと残りはただのノート、という組み合わせがないようなので、仕方なく(?)こうしている。バインダーに中身を差し替えるタイプの手帳も学生時代使ったが、リングのところが破れたりするのが面倒。そういうわけでこれが一番いい。

さて、昨年の11月末にまず書き込んだことは何か、というと、これ。
『人が習慣を作り、習慣が人を作る。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。』

うむ、結構いい言葉だ。

毎年その年の抱負を決めるのだが、2012年は『今年の抱負』とは書いておらず、この文章を最初のページに書いた。残念ながらどこから引用したかはメモしていないのがおっちょこちょいで使えないところだが、何かを読んでいていいなあと思って2011年の手帳にメモを取った覚えがある。20102012年は忍耐のサイクルなのだなあ、というのが2011年時点で見えていたので、2012年もいつかトンネルを抜けるときのためと考えよう、という自分なりの思いが込められている。こうやって前年最も重要と思ったことは次の年の手帳にも持ち込んでいる。

その他のメモはこのような内容。
・ヒューマンスキル(対人関係能力)として気をつけたい点(←そういやあ前職で上司と対立してたっけ…)
・中期人生戦略、やりたい仕事像(←上記の理由で早く次の職場探そうって思っていたため)
・生業と『良い子、悪い子』(←これは先日記事で紹介したこと)
・会ってみたい人リスト(←世の中いろんな人や仕事があることを実感するため)
・MESE(Mutually exclusive, collectively exhaustive)ー分析の際に心がけること(←アナリストの仕事をしていたため)
・論理パターン(並列型、解説型、ふたつの組み合わせ)(←チームや自分の仕事をリビューする際に論理的に話が流れているかを確認するために意識しようと思ってメモをした)
・マクロビについて(←食生活を振り返っていた際友達に勧められて少し情報収集)
・行きたい国、都市のリスト(←東南アジアへ移動することが分かったため)
・シンガポールに住み働くための豆知識(←シンガポールに引っ越してきてすぐ受けた講習)
・読みたい本のリスト(←新分野を知る必要ができたため)
・A+Sで書いたこと、書きたいこと(←やっと9月1日から活動開始に至る前のことなど)
・『個として飛び出すグローバル』企画(←2013年は忙しくなりそうなので早めに考えをまとめておこうと思ったため)
など。

もうひとつ、やりたい仕事像関連でメモしたもので、結構気に入っているものをご紹介。(これも出典は不明瞭だが、どこかからひっぱってきたもの。少し言葉を変えているかもしれない。)
ーーー
『会社で必要とされるには』

①カビの生えた成功体験は捨てる。
②現場の変化を素早く察知する。
③『現象』から『事実』を見極める。
④ひとつだけ飛び抜けた強みを持つ。
⑤ニーズを絞りこみ、得意分野としてレベルアップする。
⑥複数の先行目標を持つ。
⑦基本に忠実でいる。
⑧自分から提案して小さな成功体験を作る。
⑨煙たがられてもいいから信念や意見を持つ。
⑩テーマを決めて学習し続ける。
ーーー

この中で特に好きなのは、『カビの生えた成功体験は捨てる』と『基本に忠実でいる』『煙たがられてもいいから信念や意見を持つ』の3点。(この『カビの生えた』という古くて嫌な感じの表現が特にいい。)実は結構これは意識しないとダメな点だと思う。①を押さえると、後がついてくる。⑦と⑨は『縁の下の力持ち』のような要素で、自分のスタイルを確立しながらも①~⑥、⑧をこなしていくのに必要だ。

こういう並び替えをすると分かりやすいかもしれない。

ーーー
①カビの生えた成功体験は捨てる。
  ↓
②現場の変化を素早く察知する。
③『現象』から『事実』を見極める。
  ↓
⑤ニーズを絞りこみ、得意分野としてレベルアップする。
⑥複数の先行目標を持つ。
⑩テーマを決めて学習し続ける。
  ↓
④ひとつだけ飛び抜けた強みを持つ。
  ↓
⑧自分から提案して小さな成功体験を作る。

  
⑦基本に忠実でいる。
⑨煙たがられてもいいから信念や意見を持つ。
ーーー

今年も残すところほぼ1ヶ月。今年を振り返り、『今年も終わりよければすべてよし』で幕を閉じたいところ。2013年の手帳には、この①、⑦、⑨を書き写そうと思っている。


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2012年11月23日金曜日

Write There Write Now(2012/11/23):ノマド・メンタリティを培う


【今回のテーマ:ノマド・メンタリティを培う】

今朝、レバレッジ・マネジメントの本田 直之さんの記事を東洋経済オンラインで拝読。『30代で始める「ノマド・トレーニング」』というタイトルで、大きくうなずける内容だったのでご紹介までに。

30代で『ノマド』としてやっていけるだけの基盤を培おう、という内容の記事。ちなみに、ノマドとはなんぞや、というところで、記事の筆者はこうコメントしている。

ーーーーー
ノマドとは、働き方というよりは生き方です。「会社を辞め、モバイルを駆使してカフェで仕事をすること=ノマド」というイメージが独り歩きしている感もありますが、私の考えはまったく異なります。
「自由でオルタナティブな働き方」を含めたライフスタイル全般を指すもの、それがノマドではないでしょうか。それゆえに組織に属していてもノマドライフを送っている人はいますし、フリーランスであっても制約が多い「縛られた生き方・働き方」をしている人もいます。
何を選ぶかは個人の自由なのですから、どちらが良い・悪いではなく、自分に合った生き方・働き方を、それぞれが自分の意思で選ぶ時代が来ていると感じています。
ーーーーー
(出典:「ノマド=カフェで仕事」ではありません、一部抜粋。
 http://toyokeizai.net/articles/-/11771)

最近年代別のビジネス本が多いみたいだが、個人的にも30代はかなり重要なのではなかろうか、と感じている。人生最初の20年は多くの場合が親のサポートの中で生きているため、初めて自分で生きた10年の結果が見えてくるのが30代。仕事を初めて10年が経ち、それぞれが違う道を歩き始めていると感じる中で、自分はどうしていきたいか。自分の能力や限界も見えてくる。中だるみも始まる。そういう中で一念発起というか、これから30年も頑張るぞー!と思えるためには、自分の中で(他人任せではなく自分で)新しい風を吹かせることが必要になってくるような気がする。

ただ、『攻め』と同時に『守り』も重要になる。だから、この記事の『マルチキャリアに挑戦する』というのは理にかなっていると思えた。そういうことを考え始めると、自分には何が足りないかを考える機会にもなる。新しいことに挑戦しようと思えば、何となく同じことをしてしまう『ルーチン』も改めなければならない。

記事でも書かれている通り、『自分の市場価値を知る』というも重要なポイントだと思う。以前、自分をフリーエージェントと考えた方が現実に合っている、と書いたことがあるが、特に海外で生活していると『誰のどのようなニーズに応えられるか』と『自分が何をしたいか』の擦り合わせで転職先や仕事内容、そして待遇が決まってくる。転職という機会がないと社内人事の評価で報酬が決まっていくので、なかなか外部から見た自分の価値、というのが分かりにくいと思う。だから確かに転職サイトに登録することで誰がどのような面で自分を評価してくれるか見えてくるので面白いのではないか。

その点を意識していると、やりたいことをやりたい放題にやるのではなく、少し付加価値が出るような方向へ動くよう意識するようになる。加えて履歴書の書き方に対するフィードバックもある。私も過去に経験があるのだが、どれだけ『この分野は希望していない』、と主張しても、自分が過去経験がある一定の職種ばかりから声がかかることがあった。そうなると、①他の部分を強調することで希望している分野へのアピールを強める、あるいは②『やっぱりそこを売るしかないかねぇ』と考えを変える、という対策ができる。②を選んでも、同じ分野で同じことをするのではなく、少しアピールの仕方を変えて違う形で花咲くことを狙う『軌道修正』も可能だと思う。

この記事を読みながらついでにぼんやり考えたのは、これからの世代には、多分『定年』という考え方がなくなるんだろうな、ということ。80まで生きるようになることを考えると、65歳で定年となっても15年も仕事なしで生きていくというのは場合によっては経済的に厳しいだけではなく、何もしないには長過ぎる。そうなると定年という発想よりも、経済的に退職出来る人は仕事を辞めるが、仕事を継続するという選択もできるのでは。働き続ける選択をする可能性もあると考えると、若いうちから倒れてしまうような働き方や女性が結婚や出産を理由に働きづらくなる環境ではまずいのではないか、と思う。右に倣えの働き方をしていると、死ぬまで働けない。

ただ、残念ながら自分の世代では環境が大きく変化するとは思えない。そうなると少しでも状況がいい会社に移ることを目指すとか、個人レベルで対応していくしかない。乗り切っていくには、この記事にあるように、30代で出来る軌道修正やアクセルの踏み込みはしておいたほうがいいということなのだろう。受け身という選択肢はなさそうだ。腹をくくるしかないみたいだな~。

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【参考記事】
30代で始める「ノマド・トレーニング」
(レバレッジ・マネジメントの本田 直之さんの記事、東洋経済オンライン 2012年11月22日付)

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2012年11月20日火曜日

Write There Write Now(2012/11/20):日本では自由=無責任?


【今回のテーマ:日本では自由=無責任?】


週末に日経ビジネスを読んでいたら、こんな面白い記事があった。

『個人の創造性を根絶やしにする日本社会の「立場主義」 安冨歩・東京大学教授に聞く』


(以下、上記記事より一部抜粋) 
ーーーーー
安冨:
日本というのは異常に専門家を重視するんです。これは面白いんだけど、原発に賛成する人も反対する人も、ものすごく専門家の言葉を重視する。ヨーロッパの人はそんなに専門家の言うことを聞かない。イギリス人なんか特に、専門家に対して評価が低い(※1)。

シビリアンコントロールと言うけど、あれは「文民統制」ではなくて、「素人による統制」なんです。シビリアンとは、プロフェッショナル(専門家)に対しての素人。故・森嶋通夫先生が言っておられたのですが、日本はプロフェッショナル・コントロールの国だと。

日本人が言う「素人」とは、「立場のない人」です。立場は責任と結びついているから、責任を負わない素人が判断なんてできない、と。逆に専門家とは「立場のある人」。

(中略)

ヨーロッパ言語における「選択」の概念を考えると、選択は自由と結びつきますが責任も生み出します。「選択、自由、責任」がセットなんです。

ところが日本では、自由と結びつくのは「無責任」なんです。なぜか。日本では責任は立場に結びついているからです。「立場がない=自由=フーテンの寅さん」なんです。

日本社会における自由の根源は何かというと「無縁」です。「無縁=自由=責任がない」。これに対して「有縁=不自由=責任を負う」。つまり自由と責任が対立概念なんですね。ヨーロッパ言語では自由と無縁は全く結びつかない。不思議なんですよ。

有縁、無縁は中世にできた家制度と結びついていて、家制度自体は高度成長期に崩壊して、戦争によって鍛えられた立場主義に変質しました。
ーーーーー

特に後半はとても興味深いポイントだなあ、とちょっと考え込んでしまった。『自分の意思で選ぶ』ということが西欧的発想では『自由』、そして『結果には責任を取ることとなる』ということが結びついているのは理解していたが、日本では何かずれているというところまでしか理解していないかったので、この『自由=無責任』という構図が見えて、大きくうなずいてしまった。なるほど。

しかも『有縁=不自由=責任を負う』が、しかし『=責任を取る』とは必ずしもつながっていないのが日本の現実に見える。すぐ連帯責任を持ち出すところも、責任の所在が明確ではない(責任の所在を認めない)、という建前と現実というまた日本っぽい観念が入ってくる気がする。

少し話はずれるが、欧米(※2)の会社はフラットだとよく言われることがある。私が以前勤務した会社でも確かに年功序列ではないし、おそらく日本では課長に相当するミドルマネジャー的なポジションが少なかったこと、タスクフォースなどプロジェクトベースで立ち位置が多少変わったりすることがあるので、日本の部長、課長、係長、のような構造よりもフラットでフレキシブルだった。下も上に対してどんどん提案していくことなども考えれば、より全員参加型に見えるかもしれない。

ただ、基本的には『責任の所在』という観点から組織を見た場合は大抵非常に明確だったように思える。チーム表彰なども当然あるが、基本的には最終責任は誰が負うかは明確。だから給料格差があるし、何か不祥事が起きれば特に最終責任者が退任するとか減給するとか責任を取ることになる。もちろん成功を導きだせば昇格につながる。根本的に立場が責任と直結している。だから日本企業の不祥事の際にトップが辞任しないことは『意味が分からない』とコメントされる。(正直日本人でも意味が分からないと思っている人も多いと思うが。)そう考えると、日本の立場主義は主義・主張だけであって、現実にはとても緩い気がする。

週末に複数の日系ビジネス誌を読み漁って少し最近の話題などにもキャッチアップしたが、社内の変革を進め大きく変わろうとしている企業や有望なベンチャー企業も多くある一方で、未だにこんなことがあっているの?と正直びっくりするような話もある。オリンパスにしても野村にしても津波後の対応にしても、悪い話の方が海外で取り上げられやすいのが残念だなあと思う。

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※1)多少余談だが、上記の『イギリスなんか特に、専門家に対する評価は低い』という点は若干気になった。3.11の津波の際の日本の原子力事情に対して、原子力に頼らない割には欧州で最も冷静な論調だったのはイギリスだと個人的には考えている。素人が科学者の意見を聞き、冷静に判断しておらず、感情論に走っていたとしたら、もっと違う反応だっただろう。その他、国営放送であるBBCWORLD SERVICESへの評価が高いのも、同社ジャーナリストのレベルの高さに加え、事実に基づき客観的に判断したいという土壌が少なからずあるからではないか、と思う。

※2)欧米とはいっても国によってもかなり企業文化は違う。個人的な経験では『社内における弁論の自由』という観点では、オランダが一番フラットだった。『上司にどんどんモノ申せる奴は昇進する』とオランダ人の先輩も言っていた。私はオランダからアメリカに転勤したので、オランダ文化を持ち込んでしまい、直接的な物言いとノーという部下として多少アメリカ人上司に引かれたことを覚えている。


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2012年11月16日金曜日

Write There Write Now(2012/11/16):『活路を見出す』と考える


【今回のテーマ:『活路を見出す』と考える】


最近、日本人以外の人に就職相談をされることが増えた。といっても理由は日本人が周りにいないというだけ。新しい仕事を見るける時の悩みってどこにいっても似通ったものだなあ、なんて思いながら聞いている。

そういえば、日本人の友達からも『そもそも、なんで新しい土地にフラッと来て、すぐ仕事が見つかるんですか?』とも聞かれた。

まず、『フラッと』、というところは訂正したい。失礼じゃないか、君。

…ということではなく、そもそもフラリと来ても仕事を探すのは難しい。少なくとも何らかの形で滞在許可を持っていない限り名目上は仕事探しが出来ないことになっている国が多く、人材派遣会社などは紹介してくれない。そうなると自力で応募していくことになるが、滞在目的が明確ではないと、『コイツはすぐ辞めて国に帰るのではないか』などと疑いの眼を向けられるからだ。

次に、『仕事が見つかる』という点だ。『仕事、見つかったよ~』と私自身もよく言っているが、実は仕事は『見つかる』ものではなく、能動的に『見つける』ものだと思う。

なので正しい質問は、『新しい土地に来て、どうやって仕事を見つけたんですか?』だと思う。

『その違いがそんなに重要なんですか?』と反論したくなるかもしれないが、私は結構重要だと思う。特に後半部分。

個人的には『仕事を見つける』という表現より、なるべく『活路を見出す』という表現で就職(転職)活動を捉えるようにしている。仕事を見つける、という表現をしている限り、ついつい流されやすい私は買い手の視点に合わせてしまうことが多い。でも『活路を見出す』と考えると、軸が自分となる。

活路を見出すというのは自分探しに近い。ただ、自分探しは『私とは誰か?』という自己分析に留まるが、『活路を見出す』という表現を使いはじめた時に『ではその私を持ってどの方向に進んでいくか?』と、下を向いて考えていた自分がふと顔を上げて先を見る姿が浮かび上がる。

そういうことを書くとあたかも私が就職(転職)のプロ、成功者であるように聞こえるかもしれないが、そういうわけではない。最初からそう捉えられたわけでもないし、失敗もする。周りを見ていると、正直、一番効率がいいのは日本で最初から外資系企業に就職し、日本国内の外資市場を転々とするのが最も給料は上がるような気がしてやっかんだりもしていた。

海外市場を飛び回ると、待遇面でも各国市場でのアジャストメントが多少なりとも入るので非効率なところがある上、国境を超えると、『How are you and who are you?』の連続で、いちいち最初から自分のストーリーを語らなければならない。最初はそれがものすごく面倒だと思った(なんせ面倒くさがりで)。でも、そのうちだんだん口が慣れてくるというか、『practice makes perfect』で、ストーリー展開がうまく出来るようになり、特にあれこれ突っ込まれずに『へぇ~』と納得してもらえるようになる。そうなってきたら、自分の過去の道路整備が出来た、と考える。

そうなると次はどこに目的地の旗を立てるか。まあ、現代的に考えるとすると、GPSにどのアドレス入力するか、となるのだろうが、実際はそこまで正確に次を特定出来ることは少ないので『旗メタファー』が一番合っている気がする。

ヒラヒラと△の旗が向こうに見える。そこまでのルートとしては、直線だがイバラの道、距離的には迂回するが平坦な道、丘を越える道、などと選択肢は複数。途中には危ない橋も。でも『備えよ、常に』(by ボーイスカウト)の精神で少し先を確認しながら進めば、多分どうにか様々な試練も乗り越えられる。

そして時々ちゃんと後方も確認しながら進むと、当時は『嫌な上司に適当に合わなければならぬ、嗚呼この辛さ』と見えた試練も、実は『部下を無駄な不調和音から守るための自己犠牲の訓練』だったと見えるかもしれない。あれだけキーキー腹を立てていた状況も自分の肥やしになるんだなあ、と、当時はうまくやれなかった上司にも感謝、感謝。

…なんて、大して偉そうなことを言う資格は特にない。キャリア的にもまだまだこれから、というところ。自分自身もいつもすべての状況にベストな形で対応出来る訳では決してない。ただ、各種イバラの道は通り抜けているとは自負している。

私が海外の大学院を卒業する時、周りの日本人全員が『絶対無理』『日本人が海外でトップ企業なんか勤められない』『まだ若いから日本に帰った方がいい』と言ってきた。ほとんど反骨精神で『じゃあ誰かがやらないと…』と私は残ることにし、あがいて(溺れかけて)いたところ、Fortune 10の米大手企業に拾ってもらった、という経緯がある。

それがベストな道だったかは多分一生分からないが、道は拓けた。善し悪しは別として、波瀾万丈、スリルやサスペンスには事欠かない道であったことも間違いない。だから何かをやろうとしている人には『無理』『辞めた方がいい』とは言わないようにしている。私ももっと経験を積んで、『この辺を通ると楽でっせ』ともう少し具体的に応援してあげられたらいいな、と思っている今日この頃。


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2012年11月12日月曜日

Write There Write Now(2012/11/12):雨の日はジャグリング


【今回のテーマ:雨の日はジャグリング】


最近またテニスを始めた。シンガポールは日中は暑すぎて熱中症になるので、だいたい私は夜の8時か9時から1時間のトレーニングを始める。それでも汗ダラダラだ。ヒ~。

『また』始めた、と格好つけて言ったが、とは言ってもかなり長いことやっていなかったので初心者同然。ボールは返せるものの、コントロールは悪いし、フォームも注意される。最初は優しかったコーチも私が固定客となった途端だんだん本性を表しはじめ、最近ではスパルタだ。『もうそれ注意するの5回目だぞ』とか、『集中しろ』とか、正直職場ではあまり言われることがなかったことを言われている。まさに部活気分だ。

昨日のトレーニングでは、『確かにスタミナはある(←日頃から走っているおかげに違いない)。ただ、最初多少遊んでいるというかヘラヘラしていて、ミスし始めるとだんだんやっと集中していい球を返してくるようになる。もっと最初から気合いを入れてほしい』とのこと。

馬力は認められ、コーチから『ディーゼル』というあだ名で呼ばれているわけだが、こんなんじゃないと悔しい。そこで少しビデオやいろんなサイトを見て、自主練の強化を目指している今日この頃。そうやってコソコソと情報収集したり練習をして、いつかすごいショットでコーチをギャフンと言わせてやろうと無理なことを本気で企んでいるが、ひとつのポータルでちょっと目を引いたトレーニング方法があった。

『雨の日は3つのボールでジャグリングの練習をしよう』ということだ。

ジャグリング?テニスと関係あるの?
…と一瞬思うが、『視界全体で状況把握しながら一点を集中して見る』という目の訓練だという。ついつい周りのことに気を取られてボールから目を離してしまいがちだが、それではゲームで勝てない。雨の日はそういうこともトレーニングしましょうね、ということだ。

なるへそ。

このジャグリングというのが何だか私の中では非常にしっくり来た。

人生そのものではないか。30代になると20代よりも人はそれぞれの道を歩むんだなあという認識が強まるが、それでも日々の生活に気を取られて自分の中長期的目標を見失ったり、どこか周囲の選択と自分を比較して自信を失ったりすることがある。自分は自分、でやっていくには、把握していても敢えて見ない、ということも必要なのではないかなあ。

ジャグリングですよ、ジャグリング。

…という話を友達にすると、シビアな彼女には『いやその前にまずボール落とさないことが重要でしょ』と指摘された。確かにボール落としてたら何にもなりませんよね。

『「仕事」「(置かれた)環境」「人生観」という3つのボールをうまく回しながら、落とさずに、自分の目標へと意識をフォーカスできるか。そういうことですよ。』

す、鋭い。
…ですよね。

まあ、でもあんまり遠くを見るのも大変だから、最初は今週の目標を見失わないことから始めよう。

そんな気分の月曜日。今週もがんばりましょう。


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2012年11月9日金曜日

【記事リビュー】(2012/11/9):Sayonara to the corporate life


 A+S Project『気になるあの記事この記事』は、スタッフが面白いと思った記事や情報をまとめ、軽~いトーンでコメントや感想、考察を書いているもの。

そういうご理解で読んでいただき、関心を持たれた方は関連記事や原文にもアタックしていただければと思います。 

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【気になるあの記事この記事】
大企業にサヨナラ、日本のアントレプレナー

記事の紹介
タイトル:Sayonara to the corporate life
出典:Financial Times (November 7, 2012)
原文:英語


(あくまでもこの記事だけを読んでも理解できるよう、内容を簡単にまとめ編集してある点、ご了承ください。一語一句正確に知りたい方は是非原文にチャレンジしてください!)

2007年、日系では最大手のコンシューマ機器メーカー、パナソニックを退社した岩佐琢磨氏は、東京でコンシューマ機器メーカーCerevo社を立ち上げた。大手メーカーでも厳しい状況の中、である。『特に不安は感じていませんでした』と34歳の彼は語る。会社名はConsumer Electronics Revolutionを省略したもの。自分自身のことを『楽しく挑戦を感じられることをやらないと駄目なタイプ』という彼は、長めの髪とオシャレな眼鏡という格好で、自社オフィスの角際でもつれたケーブルや機器の詰まった段ボール箱に囲まれている。いかにもアントレプレナーといった印象だ。

岩佐氏のように、毎月の給料を手放し、大手企業への所属を評価する社会的傾向を押し切って独立するアントレプレナーは日本では未だ少数派だが、本当にやりたいことに取り組むことによる刺激や満足を求める人の数は増加してきている。個性や自信を全面的に押し出す姿勢も、チームワークや和を尊重する日本社会では未だに珍しい。

濃い色のスーツと滑らかなネクタイという装いの遠藤直紀氏はファッション業界関係者と見間違うばかりだ。現在38歳というが、2000年にアンダーセンコンサルティングを退職した際は何をすれば良いか分からなかったそうだ。しかし『情熱を持てることをしたかった』と彼は言う。結果、顧客行動分析に基づいたウェブサイトデザインを行うbeBit社を2003年に創業。

現在29歳の八木啓太氏は、富士フィルムを退職後、東京と富士山の中間地点の小田原市でBSize社を設立。デザイン性が高いだけではなく機能性にも優れるコンシューマ機器の製造販売を行う。高校時代、アップル社のスティーブ・ジョブスに強く影響された、と物腰の柔らかい彼は語る。

日本の新世代アントレプレナーたちは、大手企業での雇用の保障よりも『やりがい』を重視する傾向が強い。大手企業で勤務をすることの方が起業よりもリスクが高いと言う者さえいる。日本の大企業はジェネラリストの育成を中心としており、社外でも即戦力となるスキルを身につけることが難しいからだ。『短期的には大企業の方が雇用の保障はある。しかし、もし倒産でもした際には頼ることができるものがなくなってしまう。長期的に考えると、どこででも戦力として使えるスキルを身につけていくことの方が雇用の安全につながる』、と遠藤氏は言う。

岩佐氏はパナソニックへ入社した頃は独立して起業することなど考えていなかったという。しかしYouTubeが流行りはじめたころ、インターネット接続可能なテレビの開発を社内で提案。しかし上司に時期尚早と却下されたという苦い経験を持つ。この一件により気づきがあった。パナソニックは既存のテクノロジーをベースとした開発には長けているものの、自分がやりたいと考えているような新しいプロダクトカテゴリーの開発は不得意なのだ。

彼は今、Cerevo社で10名の社員と供にインターネット対応デバイス『Live Shell』などを開発・製造・販売している。Live Shellを用いれば、デジカメで取った(コンピュータを介することなしに)動画を直接インターネット上でストリーミング配信ができるという。すでにベンチャーキャピタルから2ラウンドで計3億7000万円の出資を受けている。Inova、Kronos Fund、Inspire、Neostella Capitalなどの日系ファンドが主要投資家だ。

大企業によるコスト削減やリストラが日本の若者の起業の追い風となっているという。八木氏の会社には、現在パナソニック勤務している高校時代の友人が加わることになっている。『コスト削減ばかりを命じられて、仕事がつまらなくなってしまった』らしい。

すでに生活水準は高いこともあり、日本人の間は、物欲よりも健全な社会構築への貢献意欲が高まっている、と、ベンチャービジネス育成に携わる日本ベンチャー学会の田村万里子氏はいう。昨年の津波災害の後、家族や地域のつながりの重要性が再認識され、特にこの傾向は強まっている、という。『若者の間で社会貢献を希望する人が急増している』と田村氏は言う。

『人は世界をより良いものにするために働くべきだ』と遠藤氏も言う。『何よりもまず利益の追求、という思考は世界を滅ぼすと考えている。』ヘンリー・フォードや松下幸之助など、世界を代表するアントレプレナーたちはこのような考えのもとに起業したという。『単に楽しみのために起業した人はすぐ辞めてしまうが、よりよい社会を作ることを目指す人は簡単にはあきらめない』と彼は語る。

八木氏は社会貢献へのコミットメントからベンチャーキャピタルからの出資を断ったという。『利益追求型のビジネスモデルを投資家から求められても、それは自分の意志に反する』というのが理由。しかしベンチャーキャピタルの出資なしにbeBit社は78人のフルタイムスタッフと20名のパートタイムスタッフを抱える規模にまで成長した。住友三井銀行、ホンダ、ネスレなどの大手企業を主要顧客に持つ同社は、10億円を超える資本金を持ち、台湾に海外初の支社をオープンした。

これまでの日本では、アントレプレナーを取り巻く環境は厳しいものだった。金融セクターはリスクを嫌う上、日本は文化的にも失敗に寛容ではない。しかし政府はスタートアップ企業へのサポートを強化し、低金利の融資や融資保証を提供するようになった。八木氏はBsize社設立にあたり、政府系金融機関から2000万円の融資を受けている。

しかし最大の環境の変化としてはインターネットおよびオンラインサービスの普及が挙げられる。これらツールを活用することで、資金の少ない中小企業にとっても事業展開のバリアが大幅に軽減された。岩佐氏はSkypeなどのオンライン通話サービスやFacebookを利用したマーケティングなど、オンラインでの無料サービス増加が特に起業を後押ししているという。『Facebookを活用したマーケティングは、世界中で簡単にプロダクト紹介が可能であり、非常に効果的』という。オンラインで商品販売を行う八木氏もこれ同意する。『これまでブランドを確立するのは非常に難しかったが、ソーシャルメディアの力で大手と競合することが可能となった』。


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【ここからがA+Sのコメント!】 

一昨日、有名ブロガーのちきりんさんと人事コンサルタントの城繁幸さんのしばらく前の対談記事、『大企業の正社員、3割は会社を辞める』(下記『関連リンク』にURL挿入)をたまたま読んだ後だったので、今回は英大手新聞ファイナンシャルタイムズで日本の大企業離れに関する記事を紹介することにした。ファイナンシャルタイムズは日本の企業文化に関しては特に批判的な記事が多いという印象があるが、今回は日本のアントレプレナーにスポットを当てた内容だ。

企業勤務経験なしに自分で事業を起こす人もいると思うし、今回取り上げられていた3名のように、大手企業での勤務経験を土台に起業するというパターンもある。ちきりんさんと城さんの対談でも、『今後、給料カーブの頂点が40歳ごろで600万円レベルという時代になれば、大企業勤務の社員の3割は会社を辞めるのではないか。特に優秀な人ほど、やってられない、と外へ飛び出すだろう』というコメントがあった。

本当にそうなって行くとしたら(個人的にもそうなると思う)、労働市場の流動性が重要になると思うが、でも、よくよく考えると、日本の外資系企業での労働市場ではすでにそれが達成されていると思う。2、3年で会社をどんどん変わって行く人は多い。なぜ外資系市場ではそれが達成されているのか?と考えた時に、実はホワイトカラー層の仕事が中心だからなのではないか、と思った。海外の企業にとって日本は製造拠点ではない場合が多いため、メーカーでもセールス、商品企画、輸出入管理、経理、IT、人事などの職務が中心。特に中途採用が中心の外資企業(かなり日系化している企業もある)では、そもそも新卒で入って来た社員はほとんどいないので、職歴と経験を売りに人が流れ込んでくる。

ただ、一歩下がって考えてみると、日本企業も製造拠点はとっくの昔に海外に移転しているため、随分同じような構造になりつつあると思う。ただ、発想においては全体的に以前の『製造業ありき』の在り方を引きずっているように思える。もちろん製造業が悪いと言っているのではない。日本の技術力の高さは国の強みだ。外から見ていると日本は少ししぼんでいる気がするが、まだまだ世界でも生活水準はトップレベルであることを国民が忘れているように思える。だからこそ、競争力を維持し高めていくためにも変化が必要なのではないか、と思う。

少し客観的に考えれば、今後の日本へのヒントはいろいろなところに隠れていると思う。変化の時期は個人レベルでも国レベルでも多少の思考錯誤は必須だ。大変な時期ではあるが、そろそろ『失われた○年』というのは辞めて、『取り返しに行く元年』と皆が言い始めればいいのにな、思う。


注:『海外ではああだ、こうだ』と私も時々言っている際に気をつけなければならないと思うことがある。それは、一般的に欧米においてもスキルを持ってファンクショナル・スペシャリストとしてどんどん転職している人たちはホワイトカラー層であるという点。それ以外の層の職業観はそれとはかなり異なり、例えば親子とも同じ工場で働くなどということもある。会社や土地への縛りがより強い傾向があることは事実だ。


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【関連リンク】 

日本ベンチャー学会:http://www.venture-ac.ne.jp/

ちきりんx城繁幸の会社をちゃかす(1):大企業の正社員、3割は会社を辞める
(ビジネス誠 2011年5月6日付掲載分)


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2012年11月8日木曜日

Write There Write Now(2012/11/08):日々のちょっとしたことをトリガーとして活かす


【今回のテーマ:日々のちょっとしたことをトリガーとして活かす】


シンガポールに来る前、よく『年中ずっと同じ天気でなんだかつまらない』という話を聞いた。
確かに、来る日も来る日も蒸し暑い。そして最近はものすごい雷雨というかスコールが一日に一回ぐらい起きる。これがすごくて、突然ドドーン!と、『え、まさか、ついに近所に落ちたかい?!』と思わせるような雷から始まることが多い。雷なんてヨーロッパにいる間はほとんどなかったので、かなり最初は驚いた。

が、慣れると、『お、今日は午前中のうちに降ってくれるのか。ありがたい~。』とか、『これじゃあ、1、2時間は外に出られませんねえ。』という感じだ。まあ、もちろん外に出てもいいのだが、私は昔から雨の中外を歩くのがとても嫌いだ。(呆れた母親に『別に角砂糖じゃないんだから、濡れても溶けないよ!』と謎にたしなめられたものだ。)だから選べたら外出しない。スコールになると、安全を期して一気に車の流れも鈍化し、渋滞となる。周りも「じゃあちょっとカフェに入るかラ~」となり、全体的にダラっとなる。効率が下がる感じだ。

そういうわけなので、雨が降って家やカフェに閉じこもるときは、一人の場合はA+Sについて考え、『雨降って地固まる』を狙う。そうすると、大抵一日数時間は(多少気を散らしながらも)ひとつのことを考えるようなリズムができる。雨が降らない時にはちょっと得した感もあり、自分のセコさを感じる。それに今のところ、『アウトプットはこれ』というのを決めていないので、具体的に毎日のアクションにつながっていないのは確かにまだまだだなと思う。それでも雨が降った時ぐらいはそうしよう、と思う。

その他、暑い国なので外出の際も必ず水分補給をする。自分で飲み物を持ってきていても、どうやら食べ歩きというのは良く思われないらしく、歩きながら飲んでいるとチラっと見られる。(ちなみに地下鉄の駅構内の中で食べたり飲んだりしても罰金らしい。)水分補給にも、ちょっとそこらへんのいすに座ることとなる。あるいはカフェに入る。そういう時にちょっとした暇が出来るので、A+Sメモ帳は持ち歩くようになった。これは完全に自己満足で、基本は書いた記事のリストという自分なりの小さな成功の蓄積を眺め、これからのアイデアの殴り書きに目を通し、多少ニンマリするだけだ。(周りから見ると多少怪しい人かもしれない。)

これだけ毎日雨が降っているのになかなか進歩がないじゃないか、という考え方もあるが、でもまあ自分への意識付けというか、今は暇人なんだしこれぐらいはやりましょうよ、という日々の自分への課題としては機能しはじめていると思う。結果はきっとこれからついてくるはず…。

正直、A+Sもシンガポールという環境だからどうにかこうにか転がりはじめているのかな、という気がしている。以前より時間があることに加え、環境が変わらないことが、着実さを無理矢理教えてくれる。『雨にも負けず、風にも負けず、、、』という試練はない。『秋になったから何だか心がモノ寂しい』『冬だから寒くて』『春はやる気が出る』『夏は遊びたい』などという気持ちの揺れも少ない。『シンガポールは今日も晴れのち曇りで気温31度。湿度は予想で80度。以上。』なのだ。天気予報を見ることもない。

ほぼ毎日起きることをトリガーとして、アクションを連鎖させるというのはなかなか悪くないと思う。例えば、朝電車に乗った瞬間にケータイをバッグに入れ、本を取り出す。そうすると何となくインターネットをするのではなく、ちょっとした読書の習慣ができてくる。あるいはもっとプラクティカルなことで、朝起きた瞬間にベッドを整える、すると忙しい朝にバタつかなくていい。私は最近は起きたらパジャマからジムの洋服に着替えるようにしている。すると『行きたくない』が、『行くしかないか』に変わる。(これは毎日走っている方に教わった秘訣。)

とはいっても自己改善ばっかりしていたら正直人生に疲れるので、『電車の中では徹底的に無になる』というのでもいいと思う。『ため息が出始めたら、15秒手を休める』というのはどうか。フランス人の子供によると、『夏は休暇中の2ヶ月間、頭を空っぽにしないと新学期に新しいものが入ってこない』という。毎日ベストは難しいし、厳しいことばかりを自分に課すと、サブオプティマルな状況でダラダラやる習慣が出来てしまっているのかもしれない。

週末まで2日!今日と明日は今週やると決めたことにフォーカスし、金曜日は気持ちよくサクっと仕事を切り上げるのはどうだろう?
今日も1日がんばろう!


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2012年11月7日水曜日

Write There Write Now (2012/11/7):転職しないでいい状況に賛同するとしたら


【今回のテーマ:あえて転職しないでいい状況に賛同するとしたら】

一度以前紹介したことがあると思うが、村山昇さんという人財教育コンサルタントの方のブログを読ませていただいている。一部読めていなかった時期があったので少しまた読みあさりさせてもらっているが、その中に『転職を考えるとき』という4回のシリーズ記事があった。

「転職」を考えるとき〈1〉~栄転と流転の分岐点は
「転職」を考えるとき〈2〉~現職を「卒業する・去る・逃げる」
「転職」を考えるとき〈3〉~転職のリスク
「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか
(各記事へのリンクは最後の関連記事に掲載)

テーマを見るだけで、日本での転職に対する見方を垣間みることが出来る気がする。『転職は劇薬である』『認識すべき6つのリスク』という表現などから、改めて、日本人はとても変化を恐れる国民なんだなあ、と感じてしまう。(特にこの村山さんのブログでは言葉をとても丁寧に選んであるという印象が強いので、だからこそ、そのインパクトを感じてしまう。)

先日少し仕事探しについてコメントしたように、欧米に住んでいると、特にホワイトカラー層では『転職』は日常茶飯事であり、上記とは全く感覚が違う。基本、栄転でも流転でも転がる方がいい、と考える人の方が多い。そもそも会社への裏切りを感じる前に、恩義すら大して感じていないドライな関係であることも多いので、あくまでも契約やコミットしたことにパフォーマンスが見合ったか否か、という客観評価もドライに行われる。

と書くと、私が転職賛成派として意見をツラツラと述べるに違いないと構えた方もいると思うが、とはいっても、当然大規模リストラは様々なドラマを引き起こす。泣いたり、怒鳴ったり、、、そういうことも起きるわけだ。逆にこんなリスクや劇薬をある程度回避できる状況がどれほどありがたいかについて考えてみようではないか、というのが本日の内容。

①安心して居座れる場所がある。
『本当はこの会社のサービスに興味がない』『もうやりたいことがない』『先が見えない』などと、同い年ぐらいの日本の友人の口からため息と同時に漏れる言葉だが、正直、相当の失敗をしない限り会社から見捨てられることはないというのも事実だ。アメリカで働いていた時、社員の3割がリストラになる状況を間近に見た身としては、まずは安心して居座れる場所があることをありがたがった方がいいのではないか、と思う。

②最初やったことが合わなくても社内異動で軌道修正ができる。
『総合職』という非常に曖昧なスタンスでリクルートされ、個人の意思は鑑みられつつも多くの場合は会社の人事主導で次の配属先を決めると聞く。強い意思を持たずとも、自動的にいろんなことをさせてもらえるということだ。最初の配属が合わない場合も次に部署異動を希望すればいいし、数年かけながら低いリスクで異動し続けることも可能。複数の部署から自社を見ることができるというシステムにはメリットも大きい。

③人的ネットワークが全く無駄にならない。
基本的にあまり人が動かない環境であれば、時間をかけて(時には無駄にしながら)構築した社内ネットワークが無駄にならない。しかも社外でも基本流動性がある程度限定的である環境であれば、同じことが言える。日本でLinkedIn利用者数が少ないのはそれが理由だろうか。私の場合、周囲で人が動きすぎるのでこのようなツールがないと正直誰がどこにいったかもはやトラッキングできない。せっかくあの会社とコネが出来たといっても、『え、もういないの?』となる始末。先方がお金を取る方(サービス提供者)の場合は引き継ぎがなされているが、逆の場合は引き継ぎも適当であり、最終日に『それではお元気で』とメールが来るだけだ。

欧米などファンクショナル・エクスパートとして自分のスキルを会社に提供する、という発想が中心の雇用市場においては、逆に大胆に動くことが後々不利にもなりかねない。最初何をしたかにその後大きく左右される。だからMBAを機にキャリアチェンジを目指す、というのも主導だが、最近ではキャリアチェンジの難しさについてもよく耳にする。

先ほど少しコメントしたが、私も米国時代に勤めていた会社が大幅にリストラを行った。そもそもグループレベルでは解雇は比較的日常茶飯事だったため、グループ内他社から来た私は『当然そうなっちゃいますよね』と正直そこまで驚かなかった。しかしこのグループ企業のみがこれまで一度も大規模リストラを行っていなかったため、社員3割が解雇の発表があった際はとても大変な騒ぎだった。(ちなみにそれは米国事業で、欧州事業も15%の社員削減。)

その際、セールスとマーケティングの社員が全員呼び出され、数人のマーケティングリーダーと私の上司の上司が現状について報告をした。他のリーダー2名は『いつか状況は好転する。Be courageous. bla bla bla』とその時の心境として最も聞きたくないことを話したが、ちょっとダニエル・クレイグっぽい私の上司の上司は次のように言った。

Listen, we all know this sucks. But go out there. Find a new position. That is the only way to survive this crisis. Go for something even if it is below your current position. The reality is that, when you are going through this type of crisis, you have to be ready to take a position for which you are overqualified. That's life. It may take you a few years to recover and get back even to where you stand know. But don't be afraid. Go acquire new skills. Challenge yourselves in a new environment. Learn about new industries. For those who live the coming two or three years as best as you can, I can assure you that you can come back as a more complete professional.

言うなら本当のことを言ってほしい、というのがその場にいた社員が思っていたことに違いない。会場の空気が少し変わった気がした。セットバックをどう生きるか。私にとってもこの正直なコメントはよくぞ本当のことを言ってくれた、ととても印象的だったので一生覚えておこうと思った。

でもセットバックばかりでは正直疲れる。安定だって悪くない。あとはそこで何を自分の命題としてやっていくか。劇薬を飲む前に、まずは今いる環境で何か出来ることはないかを考えてみてはどうか。自分で作れる変化はないか。

今日はもう水曜日。週末が見えてきた。今日も一日、がんばろう。


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【関連記事】

村山昇さんのブログより
『人財教育コンサルタントの職・仕事を思索するブログ
知平線の向こう ~明日の働く景色がみえてくる』

「転職」を考えるとき〈1〉~栄転と流転の分岐点は

「転職」を考えるとき〈2〉~現職を「卒業する・去る・逃げる」

「転職」を考えるとき〈3〉~転職のリスク

「転職」を考えるとき〈4〉~転職は会社への裏切りか

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2012年11月5日月曜日

Write There Write Now (2012/11/6):プチライバル登場からの学び


【今回のテーマ:プチライバル登場からの学び】

先日、足しげくジムに通っていることはそれとなくアピールしたと思うが、たいてい朝記事を送信し終えた後、30分走っている。

自分の中のクリア地点は3キロ以上、あるいは30分走行のどちらかを達成するというもの。健康管理が目標なのであまり早く走っていないが、10分ぐらいは時速8.5キロから9キロぐらいで走ろう、という感じ。特に自慢にはならないことは承知だが、毎日実行という意思を固めるためにも公言しているというわけだ。

と、毎朝の緩く平和な朝のジョギング。そこに異変が起きた。

大抵、私にとってジムへの道のりは『A+Sひとり反省会』気分であるため、あまり周りを見ていない。今日のはあそこが良かった、ここは甘いな、など考え、次は何にしようという軽い焦りもある。

しかしある日、キラリと光る目がこちらをチラっと見たのに気がついた。

そういえば、この人いつもいるよな。

彼女はすらりと背が高く、美人。当然、そんな女子は走らない。毎日、乗り物系(バイクとかステッパー)やストレッチをしている。美人は汗もかかないようだ。水も持って来ていない。

それから、実に彼女には毎朝会っていることに気がついた。しかもチラ見されることにも気がついた。ある日、少し普段とは違い早く到着すると、いつも先に到着しているお姉さんは、ジムに入るなりチッと舌打ちをした。

その時、ゴングは鳴ったのだ。

それからというもの、お姉さんはほぼ必ず私より先にジム入りし、私より後にジムを去る。私が来たら、必ず『チラ』っと見る。

こっちとしては、『ちんちくりんが精一杯走ってますが、何か?』という気分だ。確かにこの時間確実に来ているメンバーは私たち2人であるため、時々しか来ない他の奴らでは競争相手にならん、というわけか。あるいは、お姉さんはひとりジムが好きなタイプか。

もうこうなったからには、受けて立つしかないという状態だ。見てくれなどでは太刀打ちできない私は、しょうがないから『こいつ、着実なやつだな』と思われるにしている。

とにかく、毎日30分。集中して、着実に走る。

プチライバルの登場だけで、毎日の運動においても自分は何にフォーカスするか決めることを迫られた次第。ちょっとしたプレッシャーだがやる気が出る。明らかにお姉さんにも私がプレッシャーとなり始めている模様。

ちょっとしたことでも目標となれる人やプレッシャーを与えてくれる人を常に意識することが、なかなか自主的にはできない行動パターンのアップデートを促してくれる。この教訓は貴重だ。

ただし、何もプチライバルと全面的に戦うこともない(と惰性からか思う)。逆に、軌道修正というか、自分の強みとか立ち位置を確認していくために活用するという手もあるのだ。

そしてライバルにも敬意を。理由はともかくとして、お姉さんは毎日どれだけ運動しているのだろうか。モデルとか、体で稼ぐ(?)仕事をしているのだろうか?そこまで付き合う気がないので30分でアウトの私だが、理由は何にせよ、私からの対抗意識かと思われるほど確実に毎日運動している彼女もすばらしい。

そういう学びから、最近ではメルマガを新たに複数購読した。同じようにせっせと書いている人がいることを毎日意識することで、惰性と戦い頑張ろうという気になる。そして配信後の小さい成功体験を大げさに祝い、また次へとつなげる。

サンキュー、お姉さん。あなたは私の継続の女神。


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Write There Write Now (2012/11/5):いい仕事に出会うために考えること


海外生活11年目、6カ国目在住中(日本フランスオランダアメリカイギリス現在はシンガポール)のA+S代表が、幅広い分野からランダムに情報提供しています。

Write There Write Nowは、通常、編集後記である文章が本文となっているニューズレター。「それが面白い、だから適当に毎回目を通しているのさ」、と言ってもらえるようになるのが密かな目標です。もう少しまじめな話は、別途発行しています。合わせてご活用ください。



【今回のテーマ:いい仕事に出会うために考えること】

しばらく前にダウンロードしていたKnowledge@Whartonの記事『Why Good People Can't Get Jobs: Chasing after the 'Purple Squirrel'』(出典は参考リンク参照)という記事をコーヒーを飲みながら読んでいた。(余談だが、コーヒー好きの私には、朝のこの時間が至福の時。)

ペンシルバニア大学のビジネススクール、ワートン・スクールのPeter Cappelli教授が書いた『Why Good People Can't Get Jobs: The Skills Gap and What Companies Can Do About It』という本に関する記事だ。実際読んでいない本について語るのはいかがなものか、とは思いつつ、記事で紹介されている内容としては、以下のような内容である模様。

『多くの会社が「人を採用できない、スキルを持った人材がいない」と言っている。しかし、そもそも採用プロセスは会社側が握っており、空いたポジションと同じことを他の会社でやっていた人を見つけようとすること自体に無理がある。経験者ばかりを求める傾向があるが、経験は仕事をしないでは得ることができない。また多くの場合はスキルギャップではなくトレーニングギャップも大きな問題。』

比較的ジュニアの採用についての部分がもしかするとこのインタビューではピックアップされているかな、という印象を多少受けたので、全体のメッセージではないかもしれない。そこは本を読んで穴埋めするとしても、しかしこの記事に書かれていたことには全般的にはうなずけると思った。

例えば、大手企業である場合はよく社内公募も同時に行うことが多いので、ジョブスペックもすでにその分野のエキスパートである上、社内プロセスらしきことの熟知していることが条件として挙げられている場合も結構ある。それじゃあ外部の人間には難しいだろう。

とはいっても受ける側の準備という点で、私も採用する側として個人的に気になっていた点が2つある。(比較的若手の人が多いが、そうでもない人でも時々見られること。)

①意外にも面接しているポジションのジョブスペックを理解していない人が結構多い。
基本はジョブスペックを見るとだいたいのポジションイメージが出来るが、そうでもない人も多く面接に来る。スキルや経験面、あるいは今後取り組みたい関心分野と合致する場合、ジョブスペックを見ると『あ、6割が経験で対応可、4割は新たなチャレンジ』など、すでにやってきたことでカバーできる部分がだいたいどれぐらいか、というのは分かるはずだ。しかし驚くことに、ポジションタイトルだけで勝手に職務内容を決めつけている人も少なからずいる。

②これまた意外にも自分がやってきたことが、一般的にはどういう職務内容であるか言えない人がいる。
(私は基本マーケティング分野で働いてきたので必ずしも他部署でも同様のことが言えるかは分からないものの)人の履歴書を読んでいると、ポジションタイトルと職務内容の擦り合わせが案外といい加減な会社も多いんだなあ、感じる。
履歴書のポジションには違うタイトル(例えば『マーケットリサーチャー』)が書かれていても、職務内容的には『これって、プロダクトマネジャーということですよね?』というと、『あ、はい、そうです』と驚きつつも同意する人もいる。
実はこれも結構問題だと思う。自分がしてきたことが一般的には(自社以外では)なんと言うポジションであるかを知らない、あるいはうまく補足することで分かりやすく表現するなどの配慮がない、というのは、受け手からはプロ意識の欠如と取られてしまう。
もちろんタイトルの詐称やインフレーションというのは良くないが、逆に、タイトル的には何だかよく分からなくても、例えば『一般的に経営企画と呼ばれるポジションに近しい職務内容でした』と言うだけで、採用側はピンとくる。同様に、ひとつのポジションでも複数の機能をこなしている場合なども、このように○○が何割、△△が何割、と言うだけで分かりやすい。

少なくとも上記2つが理解できていなければ、どこまでを経験でカバーできて、どこからが『ポテンシャルの売り込み』となるかが最初の面接の場で双方にとって明確にならない。そこが明確にならなければ、企業側も『やめとくかな~』となる。不景気など、買い手市場である場合は確かに採用される側には厳しい状況であるのは間違いない。特に職場経験が浅い人たちの場合は『ポテンシャルの売り込み』の部分が大きいので、業界知識や必要なスキルをまずはどこまで『理解』しているか、という部分が重要。一見すると関連性のないことを、どうやって関連付けるか、意味付けを与えるか。『経験はないけど基礎力、理解力はあります』、そこをアピールすることになる。

加えて最近若手の人にアドバイスするのは、まずは『教育意欲が高い会社に入社する』こと。あと、『きちんとしているな』と感じる会社に入ること。正直、何の新しさも個性もないアドバイスだ(汗)。でもとても重要だと思う。OJTOJTと言う会社ではなく(運悪く見本になる人が少なかったら困る)、ちゃんとトレーニングバジェットがあるとか、プログラムがある企業がいい。規律正しい、クリーンな環境をまずは知ることは、もし起業したいと思うような人にもプラスになると思う。

特に海外で会社員をして行く人にはそこにこだわることが重要だと実は考えている。日本のように総合職が多い場合は、同じ時期に入社して、同期と呼ばれる人たちがいて、みんなで(最初は)仲良くスタートできる。上、下だけではなく横のつながりがあるというのは心強いし、重要な社内ネットワークでもある。ただ、海外市場では、基本ライファー(ひとつの企業でずっと働く人)を育てるという意識はない。だから自分自身で選んだ分野で戦って行くことになる。部署異動というのも確かに大手企業ではあるが、キャリアアップにどんどん転職していく場合、売りは自分のスキル。最近は私も自分のマインドセットを変えるため、自分自身を(会社勤めしたとしても)特定のスキルや経験を売るフリー・エージェントと考えるようにしている。その方が自分を『○○社の社員』と考えるより実は現実に近いからだ。

そして最初はスキルと経験を売って行くわけだが、30過ぎてマネジャーポジションになると、『しかも信用できる』という印象を与える必要がある。プロとしての意識、『しつけ』のようなものを早い段階で得ることが、将来的にどんどんフリー・エージェント化していく自分のキャリアの土台となる。その後は、それぞれが与えられた機会にかぶりついて、得られるものをすべて吸収していこう、と土臭く思えるか。もう知っている、やったことがある、と思う分野でも、そこに『価値』『意味』を見つけられるかが多分吸収率につながるのだろうと感じている。

もちろん、上記のことは海外市場で限ったことではないが、海外で、しかも日系ではなくローカル企業(日本で言う外資)で働こうとするのであれば、かなりの独立心が前提とされることは間違いない。

なんだか話がずれて、『Why Good People Can't Get Jobs』ではなくて、『Why People Can't Get Good Jobs』になってきたが、『自己ブランディング』などのテクニックに関する情報や記事が多い中で、『自分の立ち位置を理解する』『スキルだけではなく人間力を磨く』ということもいい仕事に出会って行くには合わせて重要だな、と最近強く感じている次第。



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【関連記事】
Why Good People Can't Get Jobs: Chasing after the 'Purple Squirrel'
(June 20, 2012; Knowledge@Wharton)

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2012年11月3日土曜日

【記事リビュー】(2012/11/2):Actually the World isn't Flat


A+S Project『気になるあの記事この記事』は、スタッフが面白いと思った記事や情報をまとめ、軽~いトーンでコメントや感想、考察を書いているもの。

そういうご理解で読んでいただき、関心を持たれた方は関連記事や原文にもアタックしていただければと思います。 

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【気になるあのビデオ、このビデオ】
世界はまだまだグローバルじゃない

ビデオの紹介
タイトル:Pankaj Ghemawat: Actually, the world isn't flat
出典:TED (Filmed in June, 2012)
原文:英語


(あくまでもこの記事だけを読んでも理解できるよう、内容を簡単にまとめ編集してある点、ご了承ください。一語一句正確に知りたい方は是非原文にチャレンジしてください!)


『国境を超えたインテグレーションはほぼ完了したと言えるレベルに到達しており、私たちはひとつの世界に住んでいる。』このような考えは、プロ・グローバライザー(訳注:例えばコラムニストのトム・フリードマンなど、グローバル化推進を唱える人や団体)、そしてアンチ・グローバライザー(訳注:グローバル化に反対する人や団体)両方が受け入れている見解だ。

しかし、実際どれぐらいグローバルな世界に我々は生きているのだろうか?関連データを集めて実証することが現状理解に近道だと私は考えた。しかし、国際電話の利用は音声通話全体の2パーセント、世界の人口における移民第一世代は3%、海外からの直接投資も投資全体の10%にも満たず、GDPを占める輸出の割合も20%程度なのだ。

現状は世界はすでにひとつとなっていると言うにはほど遠い状況であるにも関わらず、一方で、世界各地でアンケート調査を実施しても、3倍も4倍も誇張されて『グローバル化』が認識されている。

なぜそのようなことになるのだろうか?

1点目にデータの欠如が挙げられる。数年前、私が初めてこれらのデータを論文("Why the World Isn't Flat")で発表した際、(グローバル化を提唱する)トム・フリードマンは私のデータ収集の狭さを指摘した。しかし、驚くことに、彼の700ページにも渡る著書("The World is Flat")にはひとつもデータが提示されていない。データがないままグローバル化という言葉だけが先走りしているのだ。

2点目に、ピアプレッシャーが挙げられる。"Why the World Isn't Flat"という論文を発表したきっかけは、インド・ムンバイでのテレビインタビュー。その際、インタビュアーに『教授はなぜ今でも世界は(フラットではなく)丸いと考えているのですか?』と、まず最初に聞かれた。あたかも『なんてかわいそうな教授だ、ずっと部屋に閉じこもっていたから現実を知らないのだ』、という同情を向けられたかのようだった。そこで、『これではまずい、この考えについてきちんと説明をする必要があるな』、と考え、この論文をまとめたというわけだ。世界はフラットではない、と言えば疑いの眼を向けられる一方で、『世界はひとつ』、と言うと周囲から同意を受け入れられる、これも現実だ。

3点目に、テクノロジーの進歩が誇張されすぎている点。例えば、Facebookを利用すれば、確かに世界の裏側の人とも簡単に友達になれる。が、実際に他国の友達が占める割合は10~15%程度だ。自国のみで生きているとは言えないが、まだまだグローバルとは言いがたい。テクノロジーは既存の人間関係に重なる形で利用されているのみなのだ。

グローバル化はまだまだこれからであるというのに、すでに世界はひとつだ、と主張するようでは、今後の更なるグローバル化の試みを停滞させてしまうことになりかねない。実際はどの程度グローバル化が進んでいないか、現状を正確に理解することで、世界レベルの公利への貢献に今後どのような取り組みが可能かを把握することができるはずだ。

また、過度の誇張を是正することは、グローバル化に対する危惧を軽減することにもつながる。例えば、フランスでは移民規制の是非について議論があるが、フランスでの移民の割合はおよそ24%ということになっている。それは本当だろうか。実際は8%程度だと理解すれば、過激なレトリックも通用せず、議論の方向性も代わるのではないか。米国では、Chicago Council on Foreign Relationは国際援助に関する国民の認識についてアンケート調査を実施したが、結果は連邦予算の30%程度が国際援助に割かれていると国民は認識しているという。だが、実際は1%程度だという。認識と現実には大きな隔たりがあるのだ。

OECD加盟国による国内貧困層へのサポートと、海外の貧困層へのサポートの比率は3万対1の割合という。もちろん、われわれが本当にグローバルでコスモポリタンであるとしたら、この比率は1対1であるべきだ。ただ、もしこの現状が改善され、この比率が1万5000対1のレベルになっただけでも20年前のリオサミットレベルに到達したレベルであるのみだ。どれだけ我々はまだ外に閉じているかを理解すれば、更なるオープン化による改善がどれほど期待できるか見えてくるだろう。

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【ここからがA+Sのコメント!】 

ネタ探しに久々にTEDのビデオを見ていた。ポータルでは毎日のように新しいビデオがアップロードされているのでいつ訪れても学びがある。最近では翻訳プロジェクトも行われており、時々日本語のスクリプトがあるビデオもある。隙間時間活用向けとしては最高のポータルだ。

今回紹介したビデオで、スペインのトップビジネススクール、IESE Business School(イエセ)の教授、Pankaj Ghemawat氏は、グローバリゼーションの程度は誇張されすぎているという見解を共有。もう少し現状を正しく受け止め、まだまだグローバル化の加速の可能性があることを認識することが重要なのではないか、という。同氏の著書、『World 3.0』も面白そうだ。

確かにGhemawat氏が言うようにグローバリゼーションは誇張されていると個人的には強く同感する。現時点では国や会社レベルで自国と『外国』がどう付き合っていくか、という切り口が中心で、人やモノが世界を駆け巡る時代、というにはまだまだだ。ただ、同時に、このハイパー・グローバルな数パーセントがグローバライザー(グローバル化推進)として持ちうる影響力は計り知れない。数パーセントの動きが、周囲に対し実際よりも3~4倍のグローバル化レベルを感じさせるとするならば、なんてパワフルなんだ、と思うわけだ。そういう意味で、現状は正しく理解しながらも、グローバライザーの動きも注目に値すると個人的には考えている。


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