2012年10月12日金曜日

連載企画①【トアル教授の5分講義】(2012/10/12):トアル先生との対談③


【今回のテーマ:トアル教授の5分講義シリーズ最終回 トアル先生との対談③】
  

(前号からの続き…)

A+S:《創意》というテーマの講義もありましたよね? それについて少し膨らませてお話しいただけませんか。

トアル:講義でも言いましたが、私は《模倣》あってこその《創意》と考えています。

 フランスの場合でいえば、17世紀以来、古代ギリシャ・ローマの学問・芸術を《模範》とする古典主義が、文学・芸術活動の規範となっていました。その絶頂期には多くの優れた作品が生み出されましたが、古典主義を代表する作家たちは、古典古代(つまりギリシャ・ローマ)をモデルとしつつ、彼らがいま生きている時代にふさわしい文学・芸術作品を創りだそうとしました。古代をただ真似ていただけではありません。古典主義の傑作をじっくりと吟味してさえすれば、それらがどれほど《創意》に満ちているか、よくわかります。(例を示して解説したいところですが、やめておきましょう。これ以上踏み込むと、何回分かの講義がさらに必要になりそうですからね。)古典主義の時代も、作家たちは《模倣》しつつ《創意》を思う存分発揮したのです。つまり、彼らは、新たな時代を彼ら流のやり方で作り上げたのでした。

 しかし、時代がくだるにつれ、古典主義の創造的活力が失われる一方、規範や約束事はそのまま残り、形骸化していきます。それに反旗を翻したのがロマン主義者たちでした。古典主義が古代ギリシャ・ローマをモデルにしたのに対し、ロマン主義はそれとは別の世界 ー 中世・ルネサンスの西欧世界、あるいはギリシャ・ローマ以外のオリエント世界 ー に創造的霊感を求めたのです。

 だからといって、ロマン主義者たちが古典主義の傑作から何も学ばなかったわけではありません。打倒すべき敵に立ち向かったとき、彼らが選んだ戦略は違うものでしたが、手にした武器は同じです。その武器とは言葉つまりフランス語でした。しかもその言葉は、古典主義時代を通じて磨き上げられてきたものにほかなりません。ロマン主義者たちは、敵の手から奪い取ったこの言葉という《武器》を受け継ぎながら、自分たちが見出した《新たなもの》つまり《創意》を付け加えていったのです。

 しかし、そのロマン主義も、まもなく写実主義に取って代わられます。より新しい美学・思想を主張する芸術が現れたわけです。それ以後、次々に《新しい》芸術運動が起こっては消えていきました。《独創性》を主張したロマン主義運動が、形を変えながら今日に至るまで続いている、と言ったらよいでしょうか。

 このような芸術の流れを見て行くと、規範となる《形》があるからこそ中身もあるのだということがわかります。そして、《型》や《形式》をしっかり身につけるための訓練が《模倣》です。ちゃんとした入れ物があって、はじめてその中にまともなものが入れられる、つまり《内容》がともなってくるし、やがて新たな工夫もできるようになる。そこに《創意》が生まれるのだと思います。

 独創性、独自性を主張するのがロマン主義以後の芸術運動の流れですが、それは《逆らうべき》模範や伝統なるものがあるからこそ言えることなのではないか、と私は思うのです。《新しさ》を標榜する人たちが、古典から学ぶべきことを学び、そこから新たなものを生みだす時、芸術における真の《革新》が成し遂げられるのではないでしょうか。


(次号に続く…)

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