【今回のテーマ:トアル教授の5分講義シリーズ最終回 トアル先生との対談②】
(前号からの続き…)
A+S:ところで、教授は、以前、娘さんから『いい歳のおじさんが愛だの恋だのについて語るってどうなのよ?』と、仏文学、しかも古典劇が専門であることを軽く批判されたというエピソードがあるそうですが。
トアル:愛や恋を語るのは、それが昔からフランス文学の大きなテーマだったからですよ。私はフランス文学(もっと厳密に言うと17世紀フランス演劇)が専門で、長いことフランス文学を講義してきました。講義のときは、当然、作品 ー 詩、小説、戯曲 ー についてふれることになるし、さわりの部分を学生といっしょに読んで解説したりもします。
そこで取り上げる作品には、恋愛が中心テーマになっているものがかなりありますから、避けて通れないわけです。別に、恋愛を賛美するわけではありませんよ。まして、学生をけしかけたりはしません。フランスの小説や劇は、たいてい悲劇的結末を迎えます。だから学生たちには、うっかり真似をしたらこういうことになりますから気をつけてくださいよ、と警告を発するくらいです。
フランス映画にも同じことが言えますね。不幸な結末、あるいはわりきれない終わり方をよくします。ハリウッド映画がいつもハッピーエンドなのとは大違いです。フランス語に C'est la vie.(セ・ラ・ヴィ ー それが人生というものだ)という言葉があります。人生、いつも思い通りになるわけではない、だから映画でもそのように描くのだというのがフランス流、逆に、だから映画ぐらいハッピーに終わりましょうよというのがハリウッド流ということでしょう。どちらが良いか悪いかではありません。流儀の問題、文化的個性の問題で、どちらを好むかは全くあなたの自由なのです。
文学講義に話を戻しましょう。そこでは、愛について語るのではなく、たとえば作品に描かれている恋愛心理の分析(心理分析はフランス文学のお家芸なのです)を通じて人間の心の内のありようを考えてみたりします。また、それを描写している文章を取り上げながら、言葉ではあらわしがたい心のひだを、作家や詩人は言葉の《あや》をどのように駆使しつつ表現しているか、というようなことも確かめてみたりもするのです。すぐれた文学作品は、そこに描かれている人間の思い・言葉・行いを通じて、人間とはどういう存在か、そのありようをわれわれに教えてくれます。文学(そして演劇)は、人間を表現し描く、すぐれて人間的芸術なのです。
念のために付け加えておきますが、講義のなかで、愛だの恋だのについてだけ語ってきたわけではありませんよ(笑)。人間にはいろいろな面がありますから、文学作品を読みながら語るべき事はたくさんあるのです。
第4回の講義で古典について語りましたが、いま話したことは、その補足にもなるでしょう。人間の微妙な《思い》や《考え》を、限られた言葉を使いこなしながら見事に表現している、それがまさにすぐれた作品、つまり古典なのです。
(次号に続く…)
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