以前、『どうやったら読んだことがない本について語ることができるか』("How To Talk About Books You Have't Read")というタイトルの、フランス文学教授でもあるフランス人が書いた本を読みました。
(フランス人っぽいなあ…と思いつつ。)
ちなみに、読んだことがない本について語るのは大学教授が得意とする分野などと自嘲のコメントもありつつ…(「大学で文学を教えているという職業柄、読んだことがない本についても残念ながら語らざるを得ないこともしばしばで…」)
何はともあれ。
著者が指摘していた点として特に記憶に残っているのは、本が書かれたコンテキストを理解すれば、全ページ読まずとも適当にチラ読みする、あるいは読んだ人の話を聞くだけで本のポイントが理解でき、よってあたかも熱心に読んだかのような口調でその本について語れるということ。
筆者曰く、
「読書を趣味とする人は多いものの、読むのには時間がかかる。しかし現代人は忙しい。だったら読まずとも語れるなら、あるいは読まずとも人が言っていたことを借用してあたかも読んだかのように振る舞えるならば、なぜわざわざ本を読む必要があろうか(いやない)」。
「そもそも読書自体は面白くない。」
「本物の読書家は、読むこと自体ではなく、その文学について考えることを重要と考える。」
「一冊の本について熟知することではなく、その本が文学全体の中でどのような位置づけにあるか、ということが最も重要。」
そうか、コンテキストさえ理解すればいいんだな。しめしめ。
…と、私のような怠け者で愚か者はつい浅はかにも思うわけです。
しかし、1分考えたら、待てよ、と思うのです。
このコンテキストを理解する、ということが実は非常に幅広い知識や経験を要します。
そもそも、どうやってそのコンテキストとやらを理解できるレベルの情報を集めることができるのか?
もちろん、科学的な分野の本であればベーシックな理論を知ることが必要ですし、多くの場合は専門分野に加え、歴史や文化など社会学的な要素、加えて学者などでも誰と誰の意見・見解が対立しているかという力関係の理解さえも要求されます。
つまり、真面目に考えると果てしない知識の旅なわけです。
インテレクチャル・ショートカット。そんなもの、本当にあるのか。
この人…、実は最高に威張ってるんじゃなかろうか?!(やっぱフランス人!!)
と疑いを持ち始めました。
知的訓練というのは、一夜漬けの世界ではない。死ぬほど本を読んでも、一歩下がって世界を客観的に見れなければ、多分情報はネットワーク化しない。
それでもくじけずに少しづつでも何かを学ぼうと思い、自分を励まし続ければ、死ぬまでには「読まなくたって分かる」とかっこいいことを私も言えるようになるのでしょうか…。
コンテキストを理解する。
ここまでアジアに関して無知に近い状況だったので、この言葉がアジアに来てからどっしりと重く感じており、急がば走れで急ピッチに情報収集や勉強をしています。
早くアジアについても自分の言葉で語れるようになりたいです。
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【参考/おすすめ図書】
How To Talk About Books You Have't Read
by Pierre Bayard
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