2012年10月8日月曜日

連載企画①【トアル教授の5分講義】(2012/10/08):コトバの重みー翻訳をする人へのアドバイス②8つのポイント


【今回のテーマ:トアル教授の5分講義シリーズ第3回 翻訳をする人へのアドバイス②8つのポイント】


1.原文の流れ-語順、語・句・節がでてくる順序-をできるだけ尊重し、その順序に従って翻訳するように、ということです。日本語の特性上、どうしても「ひっくり返して訳す」しかない場合もありますが、そうせずにすむならその方がよいです。日本語と英語・フランス語ではシンタクス(注:文法構造上の決まり)上の語順が違うことは確かです。それを無視して原文の語順を100%守ることはできません。しかし、意味グループ(句・節など)という単位を考えれば、できるだけ原文の流れに従うべきです。どの言語でも、読み手(聞き手)は最初に出てくる情報にまず反応し、そしてそのあと次々とでてくる情報を受けとめ、最後に示された情報を得たところで、はじめてそこで語られたことの内容全体を把握し、総合することになります。情報が示される順序は大切です。

2.原文は一文でも、日本語としての調子を整えるためには、二つ(ときには三つ)の文に分けて翻訳することも必要です。とくに長い文の場合、あるいは1のアドバイス(原文の順序をできるだけ尊重する)に従おうとする場合は、二つ(ときには三つ)の文に分けて訳すのが重要なテクニックです。その逆に、原文は二つあるいは三つの文になっていても、一つの文にまとめて翻訳した方が良い場合もあります。 (日本語を英語やフランス語に訳すときにも同じことが言えます。)

3.原文にある単語でも、思い切って省略した方がよい場合があります。とくに別の言葉に言い換えたり、説明を付け加えているような場合は、訳語・訳文では言い換えや説明の必要がないことがよくあります。 逆に、原文にはないが、日本語に翻訳する場合には言葉を補ったり説明を加えたりすることが必要になるケースもあります。読者がいちいち原文を参照するわけではありません。日本語の訳文だけを相手に読む一般読者の理解が及ぶ範囲を想定しながら、必要と判断したときは、削除したり付け加えたりすべきです。

4.フランス語ではよく「言い換え」をします。たとえば、ニコラ・サルコジ→「共和国大統領」→「国家元首」などなど。同じ単語を繰り返し使うことには抵抗があるわけです。しかし、それをそのまま翻訳すると、日本人の読者には不自然でわかりにくくなることがあります。日本語としては言い換えない方が自然なときは、むしろわかりやすさを選びましょう。日本語では、同じ単語を繰り返し使うことに抵抗感はあまりありません。もちろん、語彙の貧困ゆえに、何でもひとつの形容詞で済ませるのは、まさに「貧困」としか言いようがありませんが。

5.「言い換え」に限らず、その言語特有の「くせ」「習慣」「文章作法」が日本語になじまないときは、無理して相手に合わせるのではなく、不自然でない日本語に訳しかえるよう心がけるべきでしょう。

6.代名詞の使い方に気をつけましょう。代名詞はできるだけ使わないようにすることです。「彼は」「彼を」「彼に」「彼の」などを乱発するのは、日本語として失格です。日本語では、主語も、省略できるときは省略するのが自然な文章になります。「彼は・・・。彼は・・・。彼は・・・。」と芸もなく繰り返すのは見苦しいです。

7.辞書にでてくる訳語ではだめなことが多いです。大辞典でも、あらゆる場合に対応した訳語を網羅することはできません。辞書はしっかり調べねばならないし、最適の訳語を探す上でのヒントにもなりますが、その文章の内容にぴったりの訳語は自分の頭の中から見つけ出すしかありません。

8.最後にとくに大事なことを。
翻訳するテキストのテーマ、内容、分野、そのほか関係することについて、できるだけ多くの資料にあたること。多くの知識を蓄えること。内容が深ければ深いほど、また専門性が高くなればなるほど、最後の決め手は「知識」と「教養」です。語学は雑学。日頃から、好奇心旺盛に、新聞・雑誌・本をいろいろと読みあさることです。
しかし、広げるだけでなく、深めることも必要です。深めれば深めるほど、広げることの必要性を痛感します。逆に広げるだけでは、クイズ番組では優勝できるかもしれませんが、深めることの意味を理解することはできません。その意味で、自分の専門分野とか、「強い」分野を持つのは良いことであると同時に必要なことでもあります。
それと、もう一つの決め手は日本語の文章技術。日本語でまともな文章が書けない者が、まともな翻訳などできるはずがありません。そして、まともな文章が書けるようになるための方法は一つしかありません。まともな本を数多く読むこと、それに尽きます。


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連載企画①【トアル教授の5分講義】(2012/10/06):コトバの重みー翻訳をする人へのアドバイス①翻訳者は裏切り者?


【今回のテーマ:トアル教授の5分講義シリーズ第2回 翻訳をする人へのアドバイス①翻訳者は裏切り者?】


《Traduttore, traditore》というイタリア語の警句がある。「翻訳者(トラドゥットーレ)は裏切り者(トラディトーレ)」つまり、どんな翻訳も原文を忠実に伝えることはできず、どうしても原著者の意を裏切ってしまう、という意味である。

胸にぐさりとくる警句だ。私は文学以外にもフランス語も教えている。だから、フランス語を日本語に、また日本語をフランス語にうつす作業は日常茶飯事だし、ときには一冊の本をそっくり翻訳することもある。つまり、私も翻訳者のはしくれ、「裏切り者」の一人というわけだ。

たしかに、百パーセント完璧に言葉をうつしかえることは不可能である。なかでも詩は最悪だ。ご存じのように、一篇の詩と相対するとき、私たちは、その詩を形づくっている言葉の意味だけではなく(あるいは意味以上に)言葉のもつ音や響きやリズムも重要な要素として味わう。ところが音とか響きとかはまさに翻訳しようがないのである。だから「裏切り」の度合も、詩の翻訳のときが最もひどくなるわけである。

それなら散文の翻訳はどうだろう。散文の場合は音よりも内容・意味が主になるので詩を訳すほどひどくはないにしても、やはり「裏切り」は避けられない。

歴史、文化、風俗、習慣、生活様式が違えば、ものの見方や考え方も違ってくる。そのため、単語とか表現そのものが、こちら側の、あるいは相手側の言葉に全然ないことがよくあるのだ。

いや、たとえ単語とか表現が双方の言葉に存在していたとしても、「ずれ」はつねに起こりうる。ひとつだけ例をあげてみよう。

《croissant》というフランス語がある。「三日月」のことだが、カタカナにすれば「クロワッサン」つまり三日月の形をしたパンである。私たち日本人には、「三日月」と「クロワッサン」とはまったく別の単語である。だから、この二つの語から連想するものも、それぞれ別だろう。しかも厄介なことに、フランス語の《croissant》からフランス人が抱くはずのイメージは、さらにまた違うのである。

フランス人にとってこの語は、歴史的にはイスラムとくにオスマン・トルコ帝国(とその旗印)を連想させるものだった。さらに付け加えるとこの語は「成長・増大する」という意味の動詞の現在分詞形からきたものだ。また経済「成長」などと言うときに使われる語《croissance》(クロワッサンス)も関連語のひとつで、音からもすぐ連想しそうである。しかし翻訳では、こうしたイメージや意味の広がりを半分も伝えることができない。「三日月」であれ「クロワッサン」であれ、訳語はどれかひとつに決めなければならないし、決めたとたんに、もとのフランス語がもっていた広がりも切り捨てるほかないのである。

以上は、ほんの一例にすぎない。だが、ある言葉を別の言葉にうつそうとすると、今述べたようなことからはじまって、その他さまざまな困難にぶつかるのである。だからといって、私は翻訳が不可能だとは思わない。たしかに、原文に百パーセント忠実な翻訳はありえない。しかし、言葉による伝達ということを考えるとき、同じ言葉であっても、「完全な」意志疎通となると実は容易ではない。

日本人同士が日本語でしゃべっているはずなのにどうも話が通じない。日本語で書いてあるのに、意味がよくわからない。そんな経験は誰にでもあるだろう。外国語の翻訳でなくとも、言葉が人間の思い通りにならないことはよくあるのだ。

けれども私たちは、何かを人に伝えようとすれば、どうしても言葉に頼らざるをえない。それに、私たちは誰でも人に伝えたい、理解してもらいたいと思うことをもっているものだ。そして、その伝えたいことが外国語でしるされているとき、私たちは、翻訳という手段にうったえるほかないのである。

だから、言葉という気難しくて扱いにくい友とはうまく付き合わねばならない。そして、人に伝えようとする「メッセージ」があるのなら、そのメッセージを可能なかぎり正確に伝えようと努力することである。翻訳の場合にはさらに、メッセージが「言葉の壁をこえて」どこまで伝わるか、ということが問われるわけだ。訳者の力量もまさにそこで試されるのである。

ただ、翻訳者が心せねばならぬことがある。程度はともあれ「裏切り」が避けられなないとすれば、なおのこと謙虚でなければならない、ということだ。それに、翻訳者は自己の存在を-できるものなら完全に-消し去る必要がある。語るのはあくまで原著者であって、訳者ではないからだ。

完全を求める努力を惜しんではならない。しかし「完全主義」の魔にとりつかれてもいけない。人間の力に限界があることは謙虚に認めつつ、しかし可能性を少しでも切り拓く努力を続けること、それが大切である。そしてこれは、翻訳に限らず、どんな仕事についても言えることだろう。

「翻訳者は裏切り者」という警句は、学生時代に恩師から教えられたものである。もう40年以上も前のことだ。それ以来この警句は、私の座右の銘であり続けている。


 
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2012年10月4日木曜日

連載企画①【トアル教授の5分講義】(2012/10/04):コトバの重みー外国語を学ぶということ


大学で40年文学講義を行ってきたトアル教授。
定年退職後も週に数回教鞭を取りながら、気楽にA+Sにも5回シリーズで記事を連載していただくことになりました。

仕事の合間の濃い目の5分休憩となりますように…。


【今回のテーマ:トアル教授の5分講義シリーズ第1回 外国語を学ぶということ】
  
毎年春になると新入生に聞くことがある。それは、何のために外国語を学ぶのかということだ。

学生たちの答えは大体決まっている。会話ができるようになりたい、外国の人と知り合いになって、コミュニケーションがしたい

それは結構。そこで私はさらに質問する。では、外国人と知り合って何を話すのか、どんなことを語り合いたいのか。

そう問い詰められると、あわれな新入生はもう答えられなくなってしまう。そこで私は言うのである。それが君に与えられた課題です、これからの学生生活を通じて人と語り合うべきテーマを見つけなさいと。

たしかに言葉はコミュニケーションのための手段、道具である。だが、語り合うためのテーマがなければ、真の意味でのコミュニケーションは成り立たない。それを考えずに会話が出来るようになりたいといっても、実は意味がないのである。

もうひとつ忘れてならないのは、人は言葉でもって考えるということである。だから外国語を学ぶときには、文字、単語、表現、文法だけでなく、その言語独特の発想法や表現法もあわせて学ぶことになる。

言葉を思想や文化と切り離すことはできない。外国語を学ぶとは、その言語が用いられている国や地域の人と文化を知ることでもある。言葉と文化をともに学びながら、新しい世界に向かって自分を開いてゆくそれが本当の意味で外国語を学ぶことなのである。

外国語を学ぶことによって、私たちは他者を知り、私たちが慣れ親しんでいる日本的なものの見方、考え方とはずいぶんとちがった世界を発見する。そのときはじめて私たちは、自分の言葉、自分の文化、自分自身を客観的にとらえることができるようになる。

他者との比較なしには自己を知ることはできない。そのままでは見ることができない自分の姿を、他の言語・文化という鏡に映すことによって見るそこまでいった時、その外国語は「私の言葉」となったと言えるだろう。


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【ここからがA+Sのコメント!】 

外国語を大学レベルで学んだ方は、おそらく同じようなメッセージを受け取ったに違いない。特に、前半部分は良く聞く話だ。またこの話?と思った方もいるに違いない。

でも私がちょっとうなったのは、『言葉と文化をともに学びながら、新しい世界に向かって自分を開いてゆく』、という下りだ。

これまで私は外国語をツールとして持てば『世界が見えてくる』と思っていた。
実際、それがファーストステップなのだろう。

そして、最初に意味ある文章を自分から発することができるようになった時点から、世界に自分を開いてゆくことになる。ちなみに、これは、外国語に限ったことではなく、日本語においても同様だ。

でも、それは若葉マーク付きで運転しているのと変わらない。まだまだ全体が感覚的に見えていなくて、前方不注意。

プップー。あ、ごめんなさい!
ガシャ!ひ~、車体かすった~!

そうやって、自動車学校で教わった基本ルールを守る努力をしながら、大きな事故を避けながら、前進する。
ただ、恐る恐るでも、あるいは恐れはこれっぽっちもなく、運転してみた人が当然ペーパードライバーよりもうまくなる。

語学力というのも、そんなふうに多少失敗しながら習得するものだと思う。

そして自分を開いてみた見返りとして、他者を知り、自分自身を知る。

少し話はずれるが、先日、MBAの授業に潜り込み、Management Decision-Makingというクラスを受けた。後日内容についてはもう少し紹介したいと思うが、その際に「メタファーの重要性」が挙げられていた。

どのようなメタファーで世界を見ているかが感情面での状況理解を形作る。例えば、「やってたプロジェクト、ばっさり切られたぜ」と言った場合は、戦争メタファーでそのプロジェクトの世界を見ている。勝つか負けるか、というところに感情が自ずとフォーカスする。

それと同じ発想で、この「見えてくる」という受け身の姿勢から、「世界に自分を開いてゆく」という能動的なメタファーを用いることが、どれだけ語学学習に関する見方を変えるか。

自分の手で扉を開けたら、何だか明るい世界が広がってみえる。それが「世界に自分を開いてゆく」から私が見たイメージだった。

「相手が日本語が話せないから英語(あるいは他の言語)を学ぶしかない」

ではなく、

「英語を学ぶことで、違う言葉を通して自分を開いていくことで、より自分自身の考えも明確になる」、少し先にそういう目標を感じられるなら、語学学習の意味や価値がより深みを持つような気がする。(そして運転メタファーで考えれば、いつか自分も外国語をツールとして使いこなせるとも感じられるのではないか。)


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2012年10月3日水曜日

Write There Write Now(2012/10/3):『まさか!』のAnalyze + Summarize活動開始1ヶ月記念プレゼント


昨日書いた記事(「文化は心に根付くものーMondovinoを観て」)にも一部紹介させていただいたが、1年ぐらい前から「平成進化論」というメルマガを読んでいる。

きっかけは、友達が誘ってくれたロンドンでのセミナー参加。スピーカーとして鮒谷さんが参加されており、『この方が言っていること、分かりやすいし、とても共感できる!』と思い、セミナー後、鮒谷さんにちょっとだけ声をかけさせていただいた。

そしてその日のうちに20万人の読者層を抱えるという「平成進化論」メルマガにも登録。
あれから通勤時間に毎日メルマガを読むようになり、シンガポールに来てからは、通勤がないため寝る前の一服、じゃなくて、一読、という習慣に。

いいな、と思った記事は保存したり、メモをしたりして活用させていただいてきた。  何を隠そう、この「10分間の隙間時間を支える」Analyze + Summarizeプロジェクトも、私自身が日々の隙間時間の楽しみとして「平成進化論」などを利用していたことからアイデアを得たものなのだ。

そして、昨晩も、いつも通り、

そろそろ寝るか、

おっと、その前に

と、「平成進化論」を読み始めて、

ん?んんん?んんんんん??

なんと
どういうわけか「文化は心に根付くものーMondovinoを観て」が「平成進化論」メルマガに引用されている!!!

『いやいや、寝ぼけでしょう、間違えて自分の記事ファイルをオープンしてるのかな?』

何度か意味不明にメールを開け閉めしたり、自分の記事を読み直し、またメルマガに戻るなど、しつこく状況理解に努めたが、やはり、『文化は心に根付くものーMondovinoを観て』のことを紹介いただいている。

つまり、私の昨日午前10時ごろリリースの記事に、同日夜20時にはリアクトしてくださった、ということになる。(鮒谷さんのコメント内容は記事最後にコピー&ペーストで紹介している。)

しかも、もともと活動の中心としているFacebookグループはシークレットグループとしており、メンバーしかアクセスできない。ブログは、一部モバイルから直接みたいという人のためにアクセス制限なしでほぼ全記事(プチコメント除く)をリリースしている。ただ、モバイルからのビューイング最適化は多少意識しながらも、SEOなどは全くやっていない。ゼロ。『モバイルから読みたい』と言った人も実際はあまり活用しておらず、トラフィックは皆無だ。(そういう理由でブログも作成していたため、コメント送付先や連絡先すら明記しておらず、恥ずかしい限り。)

このような状況なので、なぜ故にこの鮒谷さんへ伝言いただいた「ささやき部隊」の方が私のブログにたどり着いたかはミステリーなのだが、先日、Analyze + Summarize開始1ヶ月記念にアイスクリームケーキを食べたばかりの私が、一方的に尊敬する鮒谷さんからの「まさかの1ヶ月記念プレゼント」をいただき、ありがたいばかり。

しかも、ケーキの上のチェリーとしては、今朝、もう一度ブログで「平成進化論」「人間国宝になりたい」で検索してみたら、Analyze + Summarizeの記事がGoogleの検索トップ。一時的なこととは承知しながらも、インターネットの力はすごいと実感せざるを得ない。

正直びっくり仰天だが、このまさかの1ヶ月記念のプレゼントに恥じない形で、これからも、細々とながら、Analyze + Summarizeを継続していきたい。初日から応援してくれた皆さんにも改めてここで感謝したい。これからも、見捨てずお願いします。

そういうわけで、今日はこのハプニングをご報告する内容となってしまったが、明日からは5回シリーズ(4回シリーズ+5回目はミニ対談の書き下ろし)の企画『コトバの重み』をリリース予定。本企画には、外部のトアル教授から無報酬で寄稿いただいた。

私自身はラッキーにも外国語をある程度幼いうちに学んだため、その後、これだけ海外に住みながらも、正直あまり外国語について意識的に考えたことはなかった。そのため、この企画の検討中にトアル教授の原稿を読み、大人の目線で今一度考えたとき、ちょっとうなった。

『日本+2カ国』で活躍する(現在している、あるいはすることになりうる)みなさんに、今一度「コトバの重み」というテーマでコトバだけではなく外国を学ぶということについて5日間、5分間考えてみていただく機会になればと思う。


◎以下、鮒谷さんのメルマガで紹介された内容を抜粋(注:メルマガから該当部分のみをコピー&ペースト)。

           *  *  *  *  *


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃   メールマガジン「平成進化論」第3307号はここからです   ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━「平成進化論」━━━┛

(中略)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<昨日の活動ダイジェスト>

グローバル資本主義の中に身を起きつつ、考えること

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こんにちは、鮒谷です。

ここ数年、私の中に伏流している大きなテーマの一つに

「グローバル資本主義の世界に生きつつ、

グローバル資本主義に飲み込まれぬ生き方を」

 というものがあります。

話は変わりますが、つい先ほど、

Analyze + Summarize

http://analyzesummarize.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html


というブログに鮒谷さんのことが紹介(?)されているよ、
友人が連絡をくれました。

早速、とても興味深く拝読させて頂きました。

文章の中で少しメルマガのことにも触れて下さって
おりました。ありがとうございます!

またロンドン講演の際にも会場でお話しさせて
頂いていたとのこと、

改めてその節は、ありがとうございました!

この方が先日、ご覧になられたという、


<モンドヴィーノ>

http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000EGDDMW/2ndstagejp-22/ref=nosim


という映画は私も一度、見たことがあります。


コロンビア大学の人類学部博士課程を修了された後、

現在、早稲田大学琉球・沖縄研究所客員講師、
早稲田大学などで兼任講師を務められている前嵩西一馬さんから、

「ダーウィンの悪夢」

とともに5年ほど前、紹介頂いたのです。

それをきっかけにして、私も見たのですが、
なかなかに考えさせられる映画でした。

考えてみると、その頃から、

「グローバル資本主義の世界に生きつつ、
グローバル資本主義に飲み込まれぬ生き方」

というテーマに問題意識を持ち、
以来、今に至るまで模索を続けてきたようです。

 当時はそんな言語化はできていませんでしたが。

(ちなみにこの試行錯誤の延長線上に、
この度の大学院受験があったのですが、それは余談)

そして上記のブログにおいては、

私が漠然と感じながらも深めきれず、
うまく言語化しきれずにいた思考について、

「こういう流れに向かうといいなあ」

と思わずにおれない、適切な表現をいただいた、
という感覚を(勝手に)持った次第です。

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ただ、長く栄えるためには、「売れていく」要素、
つまり商品への注力が必要だ。

キャピタリズムギラギラのワイン農家側にとっては、
フランスの老舗と対抗していくために、
当然ながら今は商品デザインで画期性を持たせる必要がある。

だから最初はそこへフォーカスするのは当たり前だ。

ただ長期的には、商品への注力と商品デザインの注力バランスの
舵取りをうまくやったものが生き延びるのだと思う。

だから、いつの日か、彼ら(の子孫)がフランスのワイン農家と
同じようなことを語る日が来るのではないか。

文化はそうやって育って根付いていくものだと思う。

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ここのところ。(勝手引用、すみません)

深く共感、共鳴いたしました。

また、文体も素晴らしく、
いずれこういう文章が書けるようになりたい、

と思わずにおれませんでした、、

どなたがお書き下さったものなのか分からず、
したがってご連絡先も分からなかったので、

こちらにて御礼、申し上げたいと思います。

ありがとうございました!
今後共よろしくお願いいたします。


Analyze + Summarize
http://analyzesummarize.blogspot.jp/2012_10_01_archive.html


(以下の本文は割愛させていただきました。鮒谷さん、ありがとうございました。)


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2012年10月2日火曜日

Write There Write Now (2012/10/02):文化は心に根付くものーMondovinoを観て

シンガポールでは映画館で放映される映画の種類が1パターンで、ハリウッドのブロックバスターが中心。中国、韓国、日本などの映画も選択的に放映されたりするが、ロンドンのICA(Institute of Contemporary Art)の映画館に匹敵するような、いわゆるアート系の人が行くようなちょっと変わった映画館をまだ見つけられていない。(ないのかもしれないと多少絶望的になってきている。)

そういうわけで、時々(仕方ないからというと失礼だが)フランス映画を見にフランス文化会館、アリアンス・フランセーズに行くのだが、先日、同会館のワインイベントの一貫として、無料で「MONDOVINO」というドキュメンタリーが放映されたので行ってみた。

このドキュメンタリー自体は新しいものではなく、2004年にリリースされたもの。自身ソムリエであるJonathan Nossiter4年間かけて40万ドルで制作したらしい。父親がワシントンポスト、ニューヨークタイムズの特派員であったため、彼自身はフランス、イギリス、ギリシャ、インドで育ったという、まさにグローバル人材だ。ハンディカムで撮られた映像であるため、ブレがすごくて多少みづらいものの、カンヌのパルムドールに選ばれたこともあり一時評判になった。が、これまで見に行くチャンスがなく、なんとまあ、8年後にまさかのシンガポールでの観賞となった。

グローバルに、資本主義的に、大きくワイン事業を展開するワインコンサルタントのMichel Rolland(フランス人)、そしてカリフォルニアワインのドン、Robert  Mondavi(アメリカ人)、そしてかの有名なワイン批評家Robert Parker(アメリカ人)。ワインの世界におけるグローバリゼーションの波と、効率化への賛同派、反対派の様子が描かれている。(もっとも、反対派をサポートするバイアスがかかっている内容だが。)

会社で働いた経験を持っていると、この資本主義的発想に当然ながら合意する点も多い。いい商品を作り、多くの人に楽しんでもらう。それにより売上も増加し、より良いものがどんどん作れる。自社商品を世界に流通できる。このグローバル化の流れは止められない。だったら抵抗なんかするよりも、うまく付き合うしかない。

一方で、このワインという心にしみた文化の哲学を語る「抵抗勢力」のワイン農家の言葉はひとつひとつ重い。敏腕マーケターのめまぐるしい展開に、『そんなのはワインじゃない』とばかりに抵抗する。とはいっても、完全に対立しているわけではなく、改善の必要性は感じている。『でも何だろう、この心に強く感じる抵抗感は』という苛立ちを彼らは感じているのだ。

ここで少し話は飛ぶが、たまたまタイミングよく、『平成進化論』の鮒谷さんの日刊メルマガ(101日付『人間国宝になりたい!』)に、このような言葉があった。(抜粋ではなく内容の一部をこちらでまとめた。)

商品への注力と商品デザインの注力バランスが100だと、腕は人間国宝級、作る商品は天下の逸品、けれども売り込むことは全くできない。

商品への注力と商品デザインの注力バランスが010だと、敏腕マーケター、でも一歩間違うと悪徳詐欺師。

「売る」のではなく、「売れていく」にはどうしたらいいのか。

(余談だが、ちなみに、この記事はご自身の「カリスマ性のなさ」(派手な演出のなさ)についてセミナー参加者にコメントされたということについて書かれたものという。私も一度ロンドンでセミナーに参加して、ちょっとだけ直接お話させてもらったが、本当に変な派手さがない、とても謙虚で、しかし人間的に魅力のある知的な方だった。ちなみに、ご自身は「商品95:デザイン5の人間国宝的な生き方」を目指したいとされている。)

ビジネスをしていると、売上、収益性、などと言った形で勝敗が見える。だから伝統だけに固執することは難しい。ただ伝統を重んじる国や文化で育ったものには資本主義的論理一本やりが果てしなく軽く感じられる。しかしこれまでの「売れていく」への努力が「売る」力に負けそうになっている

のだろうか。

短期的に見るとそうかもしれない。ただ、長く栄えるためには、「売れていく」要素、つまり商品への注力が必要だ。キャピタリズムギラギラのワイン農家側にとっては、フランスの老舗と対抗していくために、当然ながら今は商品デザインで画期性を持たせる必要がある。だから最初はそこへフォーカスするのは当たり前だ。

ただ長期的には、商品への注力と商品デザインの注力バランスの舵取りをうまくやったものが生き延びるのだと思う。だから、いつの日か、彼ら(の子孫)がフランスのワイン農家と同じようなことを語る日が来るのではないか。文化はそうやって育って根付いていくものだと思う。

この映画を見たあと、漠然と「何か書きたいなあ」と思った。でもタイトルはどうしようかな、と。「ワインのグローバル化」という直球にすべきか、あれこれ考えたが、多少飛躍するものの「文化は心に根付くもの」とした。ワインのグローバリゼーションに対し、どちらのポジションを取るにしても、このフランス人、イタリア人のおじいさんたち(おばあさんたちがあまり出演してなかっただけです)の人生哲学・ワイン美学には心を動かされるに違いない。特にワイン好きの人には美味しいドキュメンタリーだと思う。



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【参考記事】
Mondovino (IMDb)

平成進化論(該当記事はまだバックナンバーにアップされていませんでしたが、平成24101  平成進化論 3305号「人間国宝になりたい!」です!)

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